原田マハさんのアート小説『風神雷神』を読んでみました。
今回はどんなアートが楽しめるのかどうかを確かめてみました。
『風神雷神』原田マハ
【著者】原田マハ
【出版社】PHP研究所
大人気作家の原田マハさんのアート小説は、何冊もありどれも人気があります。
今までは海外のアートが描かれてきましたが、今回は日本の絵師、俵屋宗達が主人公です。
本の表紙は上下巻とも俵屋宗達の<風神雷神>
金地に白い風神と緑の雷神が左右に配置されたあの作品です。
小説に出てくるアート作品
洛中洛外図屏風
ひとつは、現在は山形県米沢市の上杉博物館に所蔵されている国宝「洛中洛外図屏風 上杉本」
織田信長が上杉謙信に贈ったもので、描いたのは狩野永徳。
この洛中洛外図屏風はもともと、13代将軍足利義輝が永徳に注文したものだとされている。(小説にもこの話は出てきます)
もう一つの<洛中洛外図屏風『安土城図屏風』>は現在所在不明。
こちらも狩野永徳作。
「天正遣欧少年使節」が1585年にローマ法王グレゴリオ13世に献上したもの。現代美術作家の杉本博司が近年『安土城図屏風』の調査をイタリア・ローマで行なうプロジェクトがあります。
養源院「白象図」
俵屋宗達の作品、江戸時代1621年(元和7)ごろの作品です。
2枚の杉戸に描かれた「白象図(はくぞうず)」は、どちらも画面いっぱいに白い大きな耳がどっぷりと垂れた大きなほのぼのとした象が描かれています。
現在の象を知っている私たちからみると「う~ん?コレ象なのかしら?」という絵なのですが、宗達はきっと象をみたことがなかったので仕方ないですよね。
養源院に行った人は知っていると思いますが、美術館のガラスの向こうにあるわけではなく、ごくごく普通に杉戸はあり、宗達の作品が当時のままの状態で見ることができます。
ミケランジェロ システィーナ礼拝堂天井画
ヴァチカン宮殿内のシスティーナ礼拝堂の天井に描かれたもの
盛期ルネサンスを代表する作品、1508年から1512年にかけて制作された。
天井の装飾の中心をなすのは『創世記』からの9つの場面であり、中でも『アダムの創造』が有名
レオナルド・ダヴィンチ<最後の晩餐>
とっても有名な壁画ですよね。
イエス・キリストと12使徒による最後の晩餐を題材としたもの。「12使徒の中の一人が私を裏切る」とキリストが予言した時の情景が描かれている。
ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂に描かれたもので、420 x 910 cm の巨大な壁画である。
1495年から制作をはじめ1498年に完成している。
アート小説?どうでしょう?
私は原田さんの描くアート小説は大好きなんです。
でも、残念ながら今回は読了後の満足感が少なかったです。
読みやすいし、ぐいぐい物語に引き込まれるんだけど。
最初は、次は次はどうなるんだろう?これから彼らの運命は?宗達はいつ風神雷神を描くのか?とワクワクしながら読んでいたんですけれど。
下巻に入ってからだんだん「あれ?」という気持ちが大きくなってきて、そのまんま「あれ?あれ?」という間に終わってしまいました。
なんだか消化不良です。
アドベンチャー小説では
俵屋宗達のストーリーというよりも、話しの主となっているのは信長が西欧に送り込んだ天正遣欧使節という少年4人のアドベンチャー小説のような感じでした。
天正遣欧使節は、天正10年(1582)、九州のキリシタン大名、大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年(伊藤マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノ)からなる使節団です。
彼らのローマまでの困難な道のり、さまざまな困難が彼らを成長させる姿が主に書かれています。
宗達は謎多き絵師といえども別人?
宗達は謎の多い絵師と言われています。
「風神雷神」のような国宝レベルの絵を描きながらも、詳しい生涯がほとんどわかっていません。
だからこそ小説の主人公にもなりえる要素はたっぷりです。
ただ、ちょっと『風神雷神』に登場する宗達はあまりにもビックリな人生すぎて、小説の途中ではもう宗達があの「風神雷神」を描いた琳派の祖といわれているあの宗達とは別人のような感覚で読んでしまいました。
カラヴァッジョは?
本(下巻)の帯に書いてあった「謎多き琳派の祖 宗達×バロックの巨匠 カラヴァッジョ」
あのカラヴァッジョがどんなふうに宗達と絡み合うのか楽しみだったのですが、カラヴァッジョの登場にも「あれ?あれ?」状態です。
まとめ
原田マハ『風神雷神』はアート小説というよりもアドベンチャー小説でした。
アートを楽しみたいと思うとちょっとがっかりしてしまうと思います。
それよりも、若き青年たちの素直な情熱をもったアドベンチャー小説と思って読むと楽しめますよ。
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